Skip to content

21世紀の電話システム

郵便制度は19世紀。電話番号は20世紀だ。もう21世紀だぞ。

郵便制度には前から文句がある。

手紙を送るために、切手を買う。 料金を自分で調べる。 住所を書く。 郵便番号を書く。 ポストを探す。

19世紀か。

いや、制度の起源を考えれば、本当に19世紀なのだから仕方がない部分もある。

しかし、もはや21世紀である。それも1/4も過ぎたのである。

私がやりたいことは、

「この人に、これを届けたい」

それだけである。

住所がどこにあるか。 郵便番号が何番か。 どこの郵便局を経由するか。 料金がいくらか。 どういう配送経路を使うか。

そんなものは郵便システム側で考えてくれ。

私の知ったことではない。

そして、電話番号にも文句がある。

岡山市の市外局番は086である。

知らん。

なぜ私がそんなことを知っていなければならないのか。

086という数字に岡山市という意味を割り当てたのは、電話網を設計した側である。

交換局だか通信事業者だか知らないが、そちらの都合である。

利用者の要求は、

「岡山市に電話したい」

ですらない。

本当は、

「山田さんと話したい」

である。

それなのに電話という仕組みでは、人間が「086」だの「090」だの「03」だのと、通信網の内部構造を覚えさせられる。

きわめて20世紀だ。

電話番号そのものも妙である。

人間に連絡したいのに、なぜ人間ではなく数字列を指定するのか。

086-XXX-XXXX。

これは誰だ。

数字を見ても何もわからない。

だから人間は別途、電話帳というデータベースを持って、

086-XXX-XXXX = 山田さん

という対応関係を保存する。

だったら最初から山田さんを指定させろ。

Webを見るとき、

「2001:db8:dead:beef:1234:5678:9abc:def0を開こう」

とは普通言わない。

IPアドレスは通信に必要である。

しかし、それは機械が扱えばよい。

人間はgoogle.comのような名前を使う。

さらに今では、URLすら意識せず、アプリのアイコンを押すだけである。

通信経路の詳細など知らなくても使える。

それでいい。

ところが電話になると突然、

「相手の電話番号を知っていますか」

と言い出す。

なぜだ。

DNSを発明した人類が、なぜ電話ではいまだに数字列を交換しているのか。なぜ名刺にへんな数列を印刷しているのか。

しかも問題は、使いにくさだけではない。

電話が鳴る。

画面を見る。

086-XXX-XXXX。

これは誰だ。

出てみる。

「俺だけど」

誰だ。

「会社でトラブルがあって」

だから誰だよ。

ここでさらにおかしなことに気づく。

この電話回線には契約者がいる。

通信事業者は、この番号を誰に割り当てたのか知っているはずである。

携帯電話なら、契約時に本人確認までしている。

法人契約なら、どの会社が契約した回線なのかも分かっている。

つまり通信事業者側には、ただの数字列以上の情報が存在する。

なのに、受信者に見せるのは、

086-XXX-XXXX。

以上。

「あとは自分で判断してください」

である。

なぜだ。

もちろん、回線の契約者と、実際に電話口で話している人が同一とは限らない。

家族名義かもしれない。 会社名義の携帯電話かもしれない。 会社の代表番号から社員が発信しているかもしれない。

ならば、分けて表示すればよい。

「○○株式会社が契約する回線からの発信」

「○○銀行の公式窓口として認証済み」

「山田太郎本人として認証済み」

あるいは、

「契約者は確認済み。実際の発信者本人は未確認」

でもよい。

少なくとも、

「知らない数字列を表示するので、あとは相手の自己申告を信じるかどうか自分で決めてください」

よりは、はるかにましである。

オレオレ詐欺というのは、考えてみれば不思議な犯罪である。

知らない人間が突然こちらの端末を鳴らす。

そして音声だけで、

「息子です」 「警察です」 「銀行です」

と名乗る。

受信者は、その自己申告を材料に本人確認をする。

21世紀の認証方式として、あまりにも雑ではないか。

WebサイトならHTTPSがある。

証明書がある。

ドメイン名がある。

少なくともシステムとして、「誰が運営しているサイトなのか」を検証する仕組みを作ろうとしてきた。

ところが電話では、

「080-XXXX-XXXXです」

で終わる。

電話番号なんか使っているから、こうなるのである。

もちろん、詐欺をする人間が悪い。

しかし、詐欺師にとって都合のいい通信設計を何十年も放置する必要はない。

21世紀なら、通信そのものに本人性を持たせればよい。

電話番号は裏側に残っていても構わない。

IPアドレスだってMACアドレスだって、コンピュータの内部では大量に使われている。

問題は、それを人間に扱わせることである。

電話番号は、人間の名前ではない。

通信網のアドレスである。

だったら通信網の中に隠しておけばよい。

利用者は、

「山田太郎に連絡する」

と指定する。

システムが適切な通信先を解決する。

相手が電話を受けられないならメッセージにする。

緊急なら優先度を上げる。

知らない相手なら、最初に要件を送らせる。

企業からの連絡なら、その企業の認証情報を表示する。

電話番号を直接交換する必要などない。

郵便でも同じである。

鳥取大学に荷物を送りたい。

なら「鳥取大学」でいいではないか。

住所が鳥取市湖山町南4丁目101番地なのか、郵便番号が680-8550なのか、それは配送システムが持っているデータベースで解決してくれ。

送り手が知っている必要はない。

「山田太郎さんに送りたい」

なら、本人が許可した配送先へ送ればよい。

引っ越したなら本人が一度更新する。

以後、送り手全員に新住所を通知する必要もない。

住所という物理的な配送情報と、人間の識別子を分離すればよい。

要するに、19世紀から20世紀の情報システムには、共通する思想がある。

人間が機械に合わせる。

郵便局が処理しやすいように住所を書く。

交換機が処理しやすいように番号を入力する。

銀行システムが処理しやすいように支店番号を書く。

それが当時の技術では合理的だった。

だから、昔の設計者を責めるつもりはない。

問題は、21世紀になってもそのユーザーインターフェースを使い続けていることである。

今は巨大なデータベースがある。

公開鍵暗号がある。

スマートフォンがある。

生体認証がある。

電子決済がある。

位置情報がある。

世界中を結ぶネットワークがある。

自然言語処理まである。

だったら、そろそろ逆にしよう。

人間が機械に合わせるのをやめる。

機械が人間に合わせろ。

私は、

「この人にこれを送りたい」

と言う。

システムが配送先を解決する。

私は、

「この人と話したい」

と言う。

システムが通信先を解決する。

相手が誰なのかも、可能な範囲でシステムが確認する。

住所も郵便番号も市外局番も電話番号も、必要なら裏側で使えばよい。

利用者に見せるな。

インフラの内部構造を、人間に暗記させるな。

郵便制度は19世紀。

電話番号は20世紀。

もう21世紀だぞ。

いい加減に目を覚ませ。