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「1単位=45時間」は生成AI時代にも妥当なのか

日本の大学では、大学設置基準により「45時間の学修をもって1単位とする」ことが標準とされている。

この45時間という数字に、「人間は45時間学べば1単位分の能力を獲得できる」という学習科学上の特別な根拠があるわけではない。その源流は、20世紀初頭のアメリカで普及したCarnegie Unitとcredit hourにある。

アメリカの伝統的な考え方では、1 creditはおおむね、

  • 授業:週1時間 × 15週 = 15時間
  • 授業外学修:週2時間 × 15週 = 30時間
  • 合計:45時間

として構成される。

つまり45時間は、15週間の学期と「授業1時間に対して授業外学修2時間」という制度設計から生まれた数字である。

Seat TimeからCompetencyへ

興味深いことに、Carnegie Unitを普及させたCarnegie Foundation自身が、現在は時間を基準とする教育から、competencyやmasteryを重視する教育への転換を進めている。

従来の考え方を単純化すると、

何時間学んだか → 単位を与える

という「seat time」を基礎としている。

これに対してcompetency-based educationでは、

何を理解し、何ができるようになったか → それを実証する → 単位や資格を認定する

ことを重視する。

同じ能力を身につけるのにAさんは20時間、Bさんは45時間、Cさんは80時間かかったとしても、本質的に重要なのは学修時間ではなく、必要な能力を獲得したことを実証できるかどうかである。

では、講義への出席も必要ないのか

この考え方を突き詰めれば、「決められた回数の講義に出席すること」も、それ自体が目的ではなくなる。

たとえば、あるプログラミング科目が求めるcompetencyを学生がすでに持っており、試験や成果物によってそれを十分に実証できるのであれば、同じ内容の講義を15回受けることに教育上の必然性はない。

ただし、これは「講義や授業活動が不要」という意味ではない。

講義、演習、実験、議論、グループワークなどは、competencyを獲得するための重要な手段である。また、協働、コミュニケーション、実験技能など、実際の活動への参加なしには実証しにくいcompetencyもある。

重要なのは、

「出席したから単位を与える」のではなく、「必要な能力を獲得したことを確認して単位を与える」

という発想への転換である。

この立場では、講義への参加は「目的」ではなく「学習のための手段」になる。

生成AIは「45時間」の意味を変える

この問題は、生成AIの登場によってさらに重要になる。

たとえば、以前なら調査、整理、執筆に15時間必要だった課題を、生成AIを適切に利用することで3時間で同等以上の成果に到達できるとする。

この学生に対して、

「あと12時間勉強しなければ学修量が不足している」

と考えることに、どれだけ教育的な意味があるだろうか。

一方で、単純に学修時間を15時間から3時間に減らす必要もない。

生成AIによって生まれた12時間を、より高度な調査、検証、批判的思考、創造、問題設定などに使うこともできる。

つまり、

AIによって学修時間を短縮する

だけではなく、

AIによって同じ学修時間で、より高度な能力を獲得する

という教育設計も可能になる。

「AIを使ったら早く終わる」は問題なのか

生成AIを利用すると課題が短時間で終わってしまうことを問題視する議論もある。

しかし、これは裏返せば、

「一定時間を費やすこと自体に教育的価値がある」

というseat-time型の発想を暗黙に前提としているとも考えられる。

重要なのは、その学生が課題に10時間かけたか2時間で終えたかではなく、その過程を通じて何を理解し、何ができるようになったのかではないだろうか。

もちろん、AIにすべてを任せて本人が何も理解していないのであれば、competencyを獲得したとは言えない。だからこそ、生成物だけを見るのではなく、説明、検証、口頭試問、実演、未知の問題への適用などを通じて、本人の能力を確認する評価方法が重要になる。

問うべきなのは「45時間か」ではない

したがって本質的な問題は、「45時間を30時間に変更すべきか」という数字の議論ではない。

問うべきなのは、

学修時間を単位の基礎とする制度は、生成AIによって知的生産性が大きく変化する時代にも妥当なのか。

ということである。

時間ではなく、「学生が何を理解し、何ができるようになったのか」を単位認定の中心に置く。

そう考えると、講義への出席、課題に費やした時間、15週間という学期、そして45時間という単位の基準まで、これまで当然と思われてきた大学教育の仕組みを改めて問い直すことになる。

生成AIの登場は、単に「大学でAIを使わせるか禁止するか」という問題ではない。

100年以上続いてきた「時間によって学修を測る」という大学教育の基本的な仕組みそのものを再検討する契機なのかもしれない。

参考

  • Carnegie Foundation, "What Is the Carnegie Unit?" https://www.carnegiefoundation.org/what-is-the-carnegie-unit/
  • Carnegie Foundation, "Skills for the Future Initiative" https://www.carnegiefoundation.org/skills-for-the-future-initiative/
  • Carnegie Foundation, "Future of Learning" https://www.carnegiefoundation.org/our-work/future-of-learning/